伊達家と愛姫

米沢城の愛姫と政宗

天正7年(1579)の冬に伊達家に嫁入りした愛姫ですが、正式な婚礼は同9年の正月といわれています。当時、米沢城には政宗の父・輝宗と、母で最上家出身の義姫と、政宗の1歳下の弟・小次郎がいました。また、政宗の祖母で岩城家出身の久保姫も存命でしたが、福島の杉目城(現在の県庁)に隠居していました。

そこで、政宗の教育係であった片倉小十郎の姉・喜多が愛姫の侍女となり、同様に政宗の師である虎哉宗乙らにより、愛姫は伊達家の嫁として徹底的に教育を受けたものと思われます。

婚礼の年の夏、15歳になった政宗は、相馬氏との戦さで初陣を果たします。政宗の曽祖父・稙宗は、子の晴宗との争いに敗れたため伊具郡丸森城(宮城県丸森町)に隠居しましたが、その死後、丸森周辺は相馬氏が支配していました。このため、輝宗と政宗は伊具郡内を断続的に転戦し、天正12年(1584)に田村清顕らの仲介で相馬氏と和睦し、旧領奪還に成功します。

同年秋、会津の芦名盛隆が家臣に殺されたため、その妻で輝宗の妹との間に前年生まれたばかりの亀王丸が、芦名家を継ぎました。そして、これにあわせるように輝宗も隠居し、18歳の政宗が家督しました。隠居した輝宗夫妻は、米沢城の西の館山城に移りますので、17歳の愛姫は、一国一城の主の妻として、伊達家の内政を任せられることになります。